ゴールが見えない。
2000年、私は、アメリカの国技・アメリカンフットボールをするため、アメリカ本土に渡った。オールスター選手に選ばれ、優勝も経験し、世界選手権のアメリカ代表にも選ばれた。その節目節目で、いつも私は、「ここがゴールかもしれない」と思っていた。しかしどの節目でも「もうこれで終わりにしよう!」と思える達成感を得ることができなかった。
2015年夏、そんな私に、オーナーという話が転がり込んできた。正直、自信がなかった。でも私の達成感を満たしてくれるのはこれなのかもしれないと思った。
私がアメリカに来てから、日本の女子アメフト界は、後退を続けていた。私が最初にアメリカに来たとき、その目的は、アメリカでのプロ生活でなく、日本対アメリカの試合の実現だった。しかし、アメリカに来た私は、優勝にこだわった。朝から晩まで勝つことだけを考えていた。それでも日本に帰れていた頃は、日本滞在中の6ヶ月は、日本のアメフトのために動くことができた。しかし日本に帰国できなくなり、私の夢はアメリカでの優勝に完全にシフトした。
その後、もう1度、日本帰国のチャンスがあった。第2回世界選手権の開催が決まり、日本女子も参加したいとの声が日本から聞こえてきた。今だったら、アメリカで学んだいろんなことを生かして、日本に恩返しが出来ると思った。アメリカ行く前のわたしを知っている日本の協会関係者の人たちが、私が担当役員に会うお膳立てをしてくれた。会った後に彼から来たメールは、
「君みたいな打ち上げ花火はいらない。」企画書も見てもらえなかった。
このとき、実は永久帰国すべきか真剣に考えていた。しかし帰る理由もなくなった私に、アメリカ代表トライアウトを受けるチャンスがやってきた。そして、見事その地位を射止めることができた。国籍の問題で出場はできなかったが、このときはかなりの達成感があった。しかし私に戻る場所はもうなかった。
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